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今村清之助

今村清之助は、嘉永2年(1849) 3月3日、出原村に生まれ、貧困に負けずに若い頃からよく働き、今の(株)東京証券取引所の前身となる東京株式取引所の創立に関わり、日本の模範的銀行とされた今村銀行を設立した人です。

また、全国各地の鉄道事業に関わり、「日本の鉄道王」と呼ばれ、日本の交通運輸の発展に大きく貢献した人でもあります。明治の夜明けの日本で、多くの政治家、経済人と関わり、当時の経済 界の仕組みを創っていった人とも言えます。

また、清之助は、生まれ育った出原村(今の高森町出原)のこと、生家のことを大切にしていました。その一つの表れが、陸奥宗光が揮毫したのぼり旗を出早神社に奉納したことです。
このような全国的には有名な今村清之助を知る人が、地元ではあまり多くはありませんでした。 つい最近になって知られるようになってきました。
ここでは、清之助の生涯を追い、彼の果たした役割やその思いに迫ってみました。

 

特別企画「高森が生んだ明治の大実業家 今村清之助」開催中!
◆期間 5月15日~12月26日

 

特別企画「高森が生んだ明治の大実業家 今村清之助」解説動画です。
(解説/高森町歴史民俗資料館 館長 芦部)

 

今村清之助の肖像画から展示をしております。

 

 

今村清之助略年表にて54年の生涯を一覧としてまとめました。

 

 

 

「今村清之助君事歴」は今村清之助が亡くなった際に、その死を惜しみ、彼の業績を後世に伝えようと編纂された書籍です。
この書は彼の業績ばかりではなく、彼の生い立ちから鉄道王として、銀行家としての詳細な逸話までも含めています。

高森町教育委員会発行の「高森の人」の今村清之助の物語はこの「今村清之助君事歴」を基に、小学生でも読みやすくかかれています。

 

 

 

大河ドラマ「晴天を衝け」でもおなじみの渋沢栄一とともに東京株式取引所設立にも大きく貢献しました。

 

 

 

 

日本国の発展のためには諸外国をみなければならないと感じていた今村清之助は、当時の外務大臣であった陸奥宗光にかけあい、明治17年に念願の外遊に同行します。

アメリカ、イギリス、フランスをめぐり、これらの国の経済事情、工業、鉄道などの交通事情などをつぶさに観察し帰国しました。この時のアメリカの様子を「外遊漫録」として書籍にまとめました。

この書籍は今村清之助の周りの人達の間でたいへんな評判になりました。陸奥宗光が「ぜひ広く読んでもらうように出版すべき」との推薦状を書くまでとなり、多くの人に読まれることとなりました。

 

 

 

 

今回の特別展では「今村清之助君事歴」と「外遊漫録」「高森の人」を読んでいただけるコーナーを設けました。

 

 

 

◆常設展示のようす

東京に出た清之助は仲間と一緒に倉庫を借りて公債の売買を 始めました。(横浜組)
一方、渋沢栄一等が大蔵省をやめて株式取引所の設立に骨を 折っていることを知って、合併して大きな株式取引所をつくる ように呼びかけました。
明治11年(1878) 6月1日に 東京株式取引所が創立されました。しかし、清之助は役員とはならず、一仲買人として働きました。

 


↑明治 11 年(1878)に設立された東京株式取引所の創立証書。渋沢栄一の次に清之助の名があります。

 

欧米への視察をした経験から、日本の経済発展のためには鉄道が不可欠と強く決意をした清之助は、鉄道事業にも大変な功績を残しました。

 

明治経済を牽引し獅子奮迅の働きをした清之助ですが、
明治35年、惜しまれながら54歳で生涯を閉じました。

 

 

過去の特別展
特別展「明治の夜明けに挑んだ出原の今村清之助」

 

今村清之助の生涯を綴った書籍「高森の人」

高森町教育委員会発行の「高森の人」は、今村清之助と今村信行の生涯について綴った書籍です。
小学校高学年から読みやすいように、物語として楽しんでいただける読み物となっております。
当資料館でも取り扱いがございますので、お問い合わせください。(1000円にて販売中)

 

 

今村清之助 関連資料


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