山吹/小沼観音檀徒
小沼の観音堂は、慈照庵と呼ばれているが、「仏手庵」とも呼ばれている。本尊は、聖観音であるが、その横に大日如来の手が祀られている。左手で長さ62センチもある大形のもの。
この仏像を彫った人は、木食上人の但唱で、天正9年(1581)攝津の国(大阪府)に生まれ、15歳の時木食上人但膳のお弟子となって修行を積み全国を行脚して信濃の国へやってきた。
寛永7年(1630)に上伊那郡赤穂に安性寺を建てて開山となる。仏像2万体を彫ることを発願して山吹の帰命山秋岳寺に入ったという。2万体の願を果たし、一丈六尺(4.8メートル)もある大きな如来像を完成させた。ちょうどその頃、山吹と大島の間で山論が起こり、小横沢の秋岳寺に居られなくなったので江戸の芝高輪に帰命山如来寺を造って転居。天竜川を船で下したが、運ぶ途中片手を落としたものを地元の人が拾ったという。
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