吉田/吉田区
江戸時代年貢米を保管するために各村に建てられた倉を郷蔵と呼んでいる。幕府直轄の村は天領といい、そこへ納められた米は幕府の倉へ、各藩に属していた郷蔵の年貢米は各藩の倉へ回送された。
最初のうちは、年貢米を一時的に保管するための倉庫であったが、江戸時代の半ばを過ぎた頃からは凶作の年や災難に備えて穀物を貯蔵する事にも使われるようになった。江戸時代各村にあった郷蔵も取り壊されて、現在残されているのは吉田郷蔵と下市田郷蔵だけである。吉田郷蔵は道路拡張により最初建てられた所とはやや位置がずれている。
下市田の郷蔵も、最初安養寺前の大庭地籍、次に下市田学校地籍、現在は払い下げられて北沢家の個人所有の倉となっている。
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