山吹陣屋跡 座光寺氏の居館址を俗に山吹陣屋と呼んでいる。座光寺氏は城を築いたことがなく、当時の家屋敷も大部分が取り払われ、現在は畑となっている。 座光寺氏は、応永年間(1394~)座光寺の上野城主となり座光寺姓を名乗り、後に松岡氏の配下となるも徳川に密訴し、松岡氏は改易となる。その功績により上州大竹の知行を与えられ領主となり、慶長7年(1602)山吹領主として封千石を知行。その後、関が原の戦いの功により四百石加増された。