奥州白河藩(福島県)にあって十万石を知行していた安倍播磨守正耆は村替を命ぜられ、弘化3年(1846)6月伊那郡のうち一万三千八百余石を治めることになった。
原町に陣屋(役所)を置き、代官を派遣して、あちこちに散在している領地を支配させた。陣屋のあった所は上市田原町の東北で伊勢神社と近接していたが、慶応4年(1868)新政府が誕生、伊那県が誕生するに及んで撤収され陣屋関係で現在残されているものは次のものである。
① 陣屋橋 ② 田切家前の井戸 ③ 陣屋を取巻く石垣 ④ 窖 ⑤ 稲荷社
(②~⑤ 現在 個人の所有)
※陣屋のあった所は、掘り起されて民家や畑になっている。