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惣兵衛堤防と関連史跡群

正徳五年(1715)の未満水をはじめ、幾多の氾濫で沿岸住民を苦しめてきた天竜川であったが、宝暦二年(1752)、 飯田藩主堀親長は、工事総監督に郡奉行黒須楠右衛門、土工長に石工吉田屋中村惣兵衛を当て、下市田村大川除堤 (惣兵衛堤防)を完成させた。総延長八十二間(約147m)、高さ二間(約3.6m)のこの堅牢な堤防は、築堤と同時に開削された大井と呼ばれる用水路とともに、昭和三十六年六月の 三六災害で流出してしまうまでの約二百年間、市田田と称される郡下一の美田地帯を守ってきたが、現在はその一部を残すのみである。
堤防本体は指定できなかったが、築堤時の測量基準点となった上下の亀甲石や、三六災害で流失したが、その後発見され復元された水天宮碑の関連史跡は残っており、文化二年(1805)に描かれた下市田水除堤杯絵面とともに平成二十九年に町の文化財(それぞれ史跡、有形文化財)に指定された。